文山包種茶とは・・・

台湾茶 文山包種茶について

文山包種茶の歴史


坪林の茶畑
文山包種茶は1600年代末、台北平原が開墾され、現在の木柵一帯で茶樹栽培が始まったのがその起源。
この頃は平野部で栽培されるのが主流で、現在のような山間部で茶樹の栽培をすることははありませんでした
1800年代前半には木柵、南港、内湖などで栽培され、年間13万トンの生産量となり、1880年には550万トンと飛躍的な発展を遂げています。この頃には台湾の主力農産品となっています。
1900年代に入り交通インフラが整備されるにつれ、徐々に生産地が山間部に移りはじめました。石碇が文山茶の集積地として発展を遂げ、さらに奥地の坪林にも茶畑が多く見られるようになりました。
文山包種茶の「文山」は地区名で現在の台北縣文山地区を指しています。包種茶はお茶生産方法の名称で「袋揉捻」を行っていない條型のお茶を指します。文山農場※1ではこれに加えて醗酵度が13%以下のものという規定も付け加えています。
これに対して烏龍茶は袋揉捻を行ったお茶で、半球状や球状の形状が特徴です。醗酵度は15%以上と言われていますが、高山茶などではこれ以下のものも多くあります。
文山地区では雪山山系のはずれで作っている「雪山烏龍茶」と石碇、坪林でつくられている「東方美人」が烏龍茶に該当します。

茶摘み

文山包種茶の由来

輸出包装された茶葉 もともと、包種茶は茶葉を輸出包装する際、紙で包装した事より名前がつけられたといわれており、4両(1両は10匁、1匁は3.75g)で1包み、これを4つ(1斤)で輸出包装としていました。
この紙で包む包装と包種の発音が似ていたことより包種茶と呼ばれたという説があります。
1915年日本政府による重要産業政策として産業育成に力をいれたこと、1922年に首辨台湾茶葉品評会(現在、比賽(コンテスト)として存続)が開催されたことが現在の台湾茶業界が発展したことに繋がっています。
現在と同じ形状の包種茶(ただし薫花茶※2)が生産されはじめたのは1881年、しかし1916年までは包種茶より烏龍茶の生産が主流でした。 南港大坑「王水錦」により改良式包種茶(不薫花※3)が発表され、その品質がぬきんでていたことより生産量が逆転します。日本政府はこの改良式包種茶を広めるために、講習会を台北、新竹で行いました。1944年には730万トンの輸出量となり最高記録を達成しました。

文山包種茶の現在

文山茶は台北縣「新店」「坪林」「石碇」「深坑」「汐止」「平渓」などの茶区で年間約2,300万トンの生産量があります。
外観は濃翡翠緑色で條型の茶葉は自然に弓なりにそっています。お茶を淹れると水色は蜜緑黄色で輝きがあります。香りは鼻をくすぐり、滋味が多く、芳醇な甘みがあります。
文山包種茶
青心烏龍種の茶葉 生産に用いられる茶葉は「青心烏龍種」がメインで「翠玉種」「金萱種」「四季春種「武夷種」も少量生産されています。他の茶区と比較すると明治時代からの生産量は飛躍的に増えていることはありません。これは、台北市民の水源地帯である文山地区の環境保護のため原生林の伐採や高層建築物を建てることが禁止されているからです。文山茶はこの地区の環境が生み出すお茶なのです。
コンテストは年に2回行われ、各地区農會主催のもの、各生産単位主催のものがあります。品質を重んじる生産者は農會主催より生産単位主催のものに力を入れています。特等奨、頭等奨、貳等奨、参等奨、優良奬の入賞茶は主催者が梱包してオークション販売されます。特等奨入賞茶は時により1斤100万元を超える価格で取引されます。
※1文山農場
正式名称は行政院農業委員會茶業改良場文山分場。茶業改良場は1903年に設立され茶葉の改良と発展を目的に作られた政府機関、当時の名称は臺灣總督府殖産局。
※2薫花茶
薫花茶とはジャスミンなどの天然由来の香りを茶葉につけたもので、ジャスミン茶や桂花茶などがある。
※3不薫花
不薫花茶とは茶葉以外の香りや味をつけることをしない、100%茶葉だけで作ったお茶。

「台北縣農會文山茶推廣中心」は文山地区農家振興のため設立され、文山地区の茶葉一括買い上げ、卸販売を農家のかわりに行っています。
コンテスト上位入賞茶師のお茶は直接茶師と交渉しないと購入できませんが、多くの茶師のお茶はこの台北縣農會文山茶推廣中心に納め、茶葉鑑定士がブレンドを行い安定した品質のお茶を供給しています。