メイン画像

高山茶(gāo shān chá)

高山茶
梨山
高山茶
高山茶茶園
高山茶
梨山茶園
高山茶
梨山茶園

高山茶の一般的な定義

台湾において正式に定義されていませんが、一般的に標高1000m以上の高地で栽培、加工されたお茶に対して使われる名称。さらに標高2000m以上の高地で栽培、加工されたお茶を「高冷茶」と呼ぶ
1000m以上と厳密に管理されていないため標高900m程度でも高山茶と呼称する場合もある。「平地茶」と対義語
梨山果物農家「陳金地」が毎年前總統蔣介石に献上していました。凍頂から持ち込んだ茶苗を2500mで栽培、製茶し献上したところ名前がなく高山で作られたお茶なので「高山茶」と名付けられたのが始まりと言われています。

主要産地など

嘉義縣梅山郷の山間部、太平・龍眼(龍眼林尾)・店仔・樟樹湖・碧湖・太興・瑞里・瑞峰、太和・太興等の標高900m∼1500m付近村落
梅山郷龍眼村(標高約1200m)で商業栽培されたのが阿里山高山茶の始まりとされ、その時の品種は青心烏龍種
嘉義縣竹崎號、番路郷、阿里山郷阿里山沿いの如龍美(瀨頭)・隙頂・巃頭・光華・石桌・十字路・達邦・里佳・豐山等の標高1100m∼1500m付近山地部落
南投縣竹山地区、照鏡山・後埔・社寮・瑞竹・大鞍・軟鞍・流滕坪・山坪頂・杉林溪・延平・延山・羊頭彎・龍鳳峽等の標高900mm∼1900m付近山間村落
南投縣仁愛郷、良久・武界・大同山・北東眼山・奧萬大・紅香・平境・霧社、春陽・廬山・翠峰・翠巒・清境等の高山
南投縣仁愛郷は天仁茗茶企業が商業栽培をリードした地区、天霧茶(霧社)、天盧茶(廬山)、宿霧茶(清境農場茶園)、碧綠溪茶、霧敦茶(紅香)、東眼山茶(北東眼山)、雪山烏龍(白姑大山東、大騰農場)等がある
1980年代に開発が始まった南投縣水里郷、信義郷、羅娜・同富・神木・沙里仙・塔塔加等の高山、「玉山茶」「勝峰茶」「沙里仙茶」「塔塔加茶」などとして知られる
台中縣、翠巒・華崗・佳陽・新佳陽・武陵・福壽山・松茂・天府・環山等標高1600m∼2600m前後の山間部。梨山茶として知られる
高冷茶としてもっとも有名な{大禹嶺(dà yŭ lǐng)」は花蓮、台中、南投の境に位置し、標高2500m∼2600m前後の高高度茶区であるが、「大禹嶺105k」は国立公園内不法栽培として伐採され、原住民茶農を残すのみとなった。
花蓮縣、赤柯山、馬遠は復興區的拉拉山地區とさほど高くないが、良質なお茶として知られる
桃園縣復興区拉拉山地区、標高1500m∼1600m前後の山間部

清香型茶葉

海抜1000m以上の茶園で生産される「清香型烏龍茶」は半球形包種茶で「烏龍茶」「高山茶」と俗称で呼称されます
主要産地として嘉義縣阿里山茶区、南投縣竹山鹿谷茶区、台中縣梨山茶区の標高900m~2600mなどがあります

  • 茶葉外観はきつく締まり、艶のある墨緑色で異物が混入していないこと
  • 茶液水色は淡黄色、淡黄緑色、蜜黄色などで透明感があること
  • 香りは清涼な花香があり、のど越しに余韻があること
これらの条件を備えた茶葉は良い茶葉と言えます

管理人から

管理人が初めて高山と呼ばれる梨山に行ったのが1980年春、当時の梨山茶は熟香系が多く、清香は少数派のお茶でした。清香系の人気が出始め、凍頂系の熟香系茶師から文山包種茶の清香系茶師が高山に入るようになりました。文山包種茶の花香を出すお茶を目指したからでした。
文山系茶師は文山茶萎凋の技法を持ち込み清香系のお茶が進化しました。平地の文山包種茶と高山の製茶は勝手が違い、日光萎凋は紫外線で茶葉は火傷、夜間気温と昼間気温の差など問題続出。その結果、寒冷紗下の日光萎凋、空調完備の室内萎凋室、短期間で大量に作るための引き出し式萎凋棚など、製法は大きく進化しました。これらの技術は文山に持ち帰り、文山包種茶の新製法としての進化に役立ちました

高山茶(gāo shān chá)

高山茶
茶葉(青心烏龍種)
高山茶
摘採(手採)
高山茶
日光萎凋
高山茶
室内萎凋
高山茶
殺菁
高山茶
乾燥
高山茶
袋揉捻
高山茶
荒茶

TOP